前回は、就職して、中国転勤が言い渡される前までの話でした。

(これまでの話)

私がコンサルになった背景①
私がコンサルになった背景② 失敗の始まり
私がコンサルになった背景③ 想いに蓋をすると

今回は中国にいた時の出来事や感じたこと、学んだことについて書いています。

人生初の・・・。

香港のすぐ上にある街。
そこが、私が赴任することになった深圳という街です。

人口1,300万人(当時)、高層ビルが立ち並び、人が溢れ活氣に満ち溢れている東京よりも都会な街でした。

初めて訪れる街
見たことのない食べ物
人が多く、活氣のある雰囲気

そんな空氣に
「おーーーー、なんだっ! この街は!!」
「なんか楽しそうっ!」

と仕事で来たのに、思わず観光氣分になっちゃいました。

そして
「ここでの仕事も悪くないかも」
「もしかしたら、すごい楽しい生活が始まるかも!」
と感じたんです。

ですが、やっぱり確信のないことは実現はしないわけで、
実際に仕事に取り組み始めると厳しい現実が待ってました。。。

言葉が通じずコミュニケーションが取れない、食事も合わない。
氣づくと夜中までクレーム処理や納期調整をしてクタクタに疲れる日々を過ごしていました。

「自分のやっている仕事って何のためにしてるんだ」
そんなことを考えるようになっていました。

そして赴任して2週間目の日曜日の夜。
ある出来事が私の中に起こったんです。

それは、、、ホームシック。
人生初のホームシックが起こったんです。

確か、唯一視聴できる日本語放送のNHKワールドニュースを見ている時でした。
ちょうど天気予報のコーナーの時です。
皆さんもよく見る、全国地図に晴れとか雨とか氣温とかが表示されるアレです。

そんな天氣予報を見ながら、私は今までの癖で、つい2週間前まで住んでいた福岡の天氣を反射的に見ていました。

そして「明日、福岡は雨か」と呟いた時、福岡にいた頃の思い出がブワッと頭の中を駆け巡ったんです。

・よく買い物に行っていた天神の街並み
・後輩と深夜まで飲み明かした福岡城跡での花見
・先輩と愚痴りあった中洲の屋台
・友達と行った呼子のイカ料理
・好きな子と遊びに行ったドライブの景色
等々

「俺、ここで何やってるんやろう・・・」

氣づいたら涙がとめどなく流れていました。

ホームシックになるやつって心の弱いやつだ。
と自分には関係のないことだと思っていたんですが、こんなに辛いとは思いもしませんでした。

だけど、私は翌朝もいつも通り、中国語が飛び交う慣れない地下鉄に乗り、オフィスに行き、ローカルスタッフと一緒に仕事をするという選択しか残されていませんでした。

中国での生活って・・・

日本の常識は通用しない。

心の中である程度の覚悟はしていたものの、実際に体験しないとわからないものですね。

約束は守らない
嘘はつく
他人のせいにする

あと、ある日突然、部下の社員が会社に来なくなり電話したら
「もうこの街に住むことができなくなった。上海に帰る」
「(エッ、お前は何をやったん?)」
と聞く間も無く電話は切れ、連絡が取れなったこともありました。

とまあ、仕事も日常生活も日本人の感覚のままでいるとストレスを感じることばかり。

あと海外赴任すると、仕事以外でもやることが多かったんです。

休日も、

接待
日本からくる社員のアテンド
ゴルフ(上司と一緒に)

とにかく休みがない!
最高で31連勤したこともありました。

慣れない環境、聞き取れない中国語、身体に合わない食事。(右の写真のような激辛&油っぽい料理のオンパレード)

こんなストレスを受け続けるとどうなるのか?

人生初の40度の発熱。

40度の熱が出ると、35℃以上の真夏でも寒さで身体が震えるんですね。
初めて知りました。

仕事
食事
日常生活

いろんな場面で人生初体験づくし。
それはそれで今思うといい思い出にはなっています。

ただ!
日本では時間をかけて仕事をこなす(帳尻を合わす)スタイルだったので、時間をかけてこなせない量の仕事が来た時はどうしようもないんですよねー。
おまけに当時私の上には二人の日本人の上長がいたのですが、二人とも今で言う「パワハラ上司」

これがきつかった。

ちょっとした失敗で、めちゃくちゃ怒鳴られる。
自分のミスは押し付けられる。
そんな上司と休日は接待ゴルフに行かないといけない。

精神的に休まる時がなかった。

こんな感じで日々忙殺されていくとどうなるのか?

だんだん適切な判断ができなくなる
→ミスを連発する。
→また怒られる
→さらに精神的にきつくなり、判断が誤る

更に

ネガティブな状況を避けるために、自分を守るための思考、行動を取るようになる
例えば、怒られたくないから、悪い内容は報告しない(でもバレて、「すぐ報告しろ!!」とめっちゃ怒られる)

これをやっちゃうと周りの信用を失うんですよね。
「そんなことはしちゃいけない」
と頭ではわかっているのに、行動は全く逆のことしてしまう。

完全に自分を見失っていました。

このころの写真を見ると目が死んでいて(笑)(右の写真)

「精神的にも危うそう」
「こんな感じの人とは関わりたくないなー」

という雰囲気を出してました。

今見ても「ストレス抱えてるなー」って感じます。

仕事はできない
関わりにくい
精神的に病んでそうに見える

ってなると、会社としても

「柏原をこのまま深圳に置いておくとまずいぞ!」
という噂が広がったのかどうかわかりませんが、

「ちょうど本社で新しいプロジェクトが始まって人が必要だから、そっちに回そう!」
という話になったみたいです。

経営企画課への異動が決まり、私の中国生活は2012年8月に終わりました。
2年と2ヶ月の中国生活。
本当だったらあと3年いるはずだったのですが…。

そうやって日本に本社スタッフに異動した私。
営業と違い残業時間もグッと少なくはなり楽になりました。

が、ここで現実と将来の可能性を天秤にかける葛藤を味わうことになるとは、思いもしませんでした。

次回予告

「そもそも何のために働いているんだ」

ということを考え始め、自分の将来をどうするか見直しだした私。
次回は自分探しから起業に向けて動き出し、いろんな出会いがあったころの話を書いていきたいと思います。

教訓

保身は身を滅ぼす。

仕事、人間関係は、何かを達成する、貢献するという姿勢で向き合うことが大切。
だけど状況が悪くなると、ついそこから逃げ出したい自分がいます。

中国にいた時の私は、いろんなことから目を背け、自分の保身に走っちゃいました。
保身の思考、選択、行動になると、事態は解決せず、常用は更に悪化し周りからの信用も失っていく。

そういうことを身をもって体験できました。