こんにちは。
コンサルタントの柏原です。
前回は、私が就職するまでの話を書きました。
今回は、就職してから、海外に転勤するまでの話です。
(前回に引き続き、少し暗い部類の話になるのでごめんなさい)
自分の想いに蓋をして物事を決めるとどうなるのか?
という実体験を元に書きました。
それでは、どうぞ!
歪んだ目的設定
無事に内定をいただき、4月から社会人として生活を始めた私。
4月は暖かくなって、桜が咲き始め、そんなことを見て感じながらワクワクする。
のが今までの私だったのですが・・・。
2002年の4月、私はそんなことはあまり感じていませんでした。
実はこの社会人生活をスタートした頃から
”天井の低い、暗ーい部屋に入った時のような息苦しさ”
を感じていたんです。
ただ、当時は
「もう学生とちゃうし」
「みんな同じこと感じてるはず」
「これが大人の社会の普通やから仕方ない」
と、自分に無理やり言い聞かせ
「どうしてそんなことを感じているのか?」
については見向きもしませんでした。
今思うと当時の私は、決められた枠の中でしか、自分の意思や意見が言えない。
ということに違和感を感じていたんだと思います。
ただ当時はそんなことを内観して表現することはせず
「会社に入って存在感を示して、出世して稼ごう!!」
と、自己顕示欲に沿った目的を設定しました。
当時は俺が!俺が!!って氣持ちがものすごーく強かったんです。
あと会社の同期は私より2−3歳年下ばかりだったことも大きかった。
自分の方が年上という理由だけで
「俺の方が人生経験あるから、年下には負けへんし!」
「生涯の給与3年分少ないのは老後がきついから、人より稼がなあかん!!」
「そのためには出世せな!!!」
と、今、思い出しても、
「なんて幼稚な発想やろ」
と顔が熱くなって変な汗が出てくるような恥ずかしさがこみ上げてきます(苦笑)
そうやって相変わらず自分に向き合わず、2ヶ月の研修が終わり、私は福岡の営業所に赴任しました。
2002年6月から、電子部品の技術営業として働き始めます。
「出世して稼ごう!!」
とは決めたものの、新入社員なので、知らないことばかりで、要領も良くない。
だから行動も遅い。
更に、仕事は決まった答えがなく、自分で考えて仕事を進めることが必要。
だけど、失敗が怖くてそれができない。
息巻いた割に、仕事が遅く、結果を出せない社員でした。
だから、この頃は失敗の連続。
納期が守れずお客さんに怒られる。
部品の仕様を間違えて伝えて怒られる。
品質クレームで提出した報告書がいまいちで怒られる。
アシスタントの女性との連携が悪く、トラブり怒られる。
ある時お客さんから
「柏原さんは付加価値がないから担当から外れてくれ」
と言われたこともあります。
こんな状態だったので、結果を伴わせるために、入社5−6年目までは休日出勤含めて、毎月100時間は残業していました。
若いからできていただけ、こんな働き方はもうできないです(苦笑)
ただ、良かったことが2つあります。
1つ目は、現状を変えるために、当時から興味の持っていた自分の強みとか使命とか、今につながることを勉強していたこと。
2つ目が、努力を続けることで、量が質に変換することを実感できたこと。
(もちろん良い上長に指導してもらったのも大きいです)
入社して3−4年経つと少しづつ結果が出始め、主要なお客さんを任せてもらうようになりました。
そして2008年には年間60億円の販売を達成し、ライバルからのシェアを大きく奪回。
周りからは「ここ最近のカッシーっていいよね」とか
役員の方からも「本当に良くやってるよなー」
と言われるようにまでなっていました。
こうした功績が認められ販売優秀賞も獲得。
「充実している会社員やん」
と思う方が多いと思います。
確かに少しは仕事の喜びはありました。
ですが!
実際にはこの写真のような状態でした。
(顔が疲れきっている)
この頃は、忙しさに忙殺されて、何がしたいことなのかよくわからなくなっていました。
ただ目の前にある膨大な仕事をさばくだけの日々。
ただ実績を上げているという事実はあります。
今でも忘れません。
2010年2月22日、月曜日の朝。
出勤してすぐの私は、課長から別室に呼ばれました。
海外への赴任
私:「どうしました?」
課長:「うん。。。。カッシーさー、、、6月から深圳(シンセン)に行ってもらうから」
私:「(シンセン??)・・・えーーっと・・・、日本じゃないですよね?」
課長:「うん、中国」
私:「中国って、海外の方の中国ですよね」
課長:「それ以外、どんな中国があるんだよ(笑)」
私:「(やっぱりそっちの中国!?)」
課長:「とにかく決まったから、来週から引き継ぎして」
私:「(え〜〜、ムッチャ嫌なんやけど・・・)わかりました」
たしかに、海外赴任は幹部候補への最短ルート。
「出世して稼ぐ!」という入社時の目的に近づいた。
だけど、心の声は
「あれ?、あれ??、あれ??? これって本当に望んでいたことか?」
だけど、当時の私は会社を辞める選択はできず、2010年6月深圳に赴任しました。
本当だったら、この記事で、中国編まで書きたかったのですが、長くなったので次回へ。。。
次回予告
心の中のモヤモヤが心の中で渦巻き、文化も考えも日本とは異なる土地に行くとどうなるのか?
次回は、中国で過ごした日々について書いていきます。
教訓
このエピソードから私が学んだこと。
それは、、、
無理やり自分を納得させて行動しても、望まない結果が待っている
自分は何を成し遂げるために仕事をしているのか。
それは心から望んでいることなのか。
ここを無視すると、結局上手くはいかないと実感しました。
ただ、想いや氣持ちを納得する言葉で表現することは、なかなかしんどいんですよね。
それができる、できないが成功、失敗を分ける要因の一つになると感じています。